備前焼

備前焼は、岡山県備前市周辺、とくに伊部地区で作られたことから、伊部焼(いんべやき)という別名を持っています。また、日本六古窯の一つにも数えられている焼き物で、2本の有名な炻器の一種です。

6世紀中頃の古墳時代の「須恵器」にルーツを持つとも言われている備前焼ですが、12世紀に伊部地区に本格的な窯が築かれました。13世紀の鎌倉時代後期には、既に現在のような茶褐色の陶器が焼かれていたようです。「落としても壊れない」という特性かあり、実用性が高いために当時の人々には愛用されたようです。この時期の備前焼が「古備前」と呼ばれていて骨董的に価値がある炻器とされています。

桃山時代になると発展していった茶道の道具としての人気が高まり、茶道の衰退した江戸時代には次第に衰えていきました。これは、その当時に、安価で出回るようになった大量生産可能な磁器が流行したことが直接の原因でした。やがて、備前焼は、再び初期のような酒徳利、つぼなどの日用雑器の生産が中心になってしまいました。この頃のこうした備前焼は、現在でも、かなりの数が残存しています。

昭和に入ってからは、桃山時代の備前焼への回帰運動が起こり、備前焼の芸術性の追求の機運が高まっていきました。中でも、「備前焼」の金重陶陽は人間国宝に認定されるまでに評価され、備前焼の人気は不動のものとなりました。そして、2017年の春、備前焼は日本六古窯として日本遺産に認定されています。

備前焼全体の共通の特徴には何があるでしょうか。それは釉薬を全く使わない「酸化焔焼成」によって締まった赤い発色にあります。また「窯変」によって固有の複雑な模様が生み出されるという特徴も持っています。さらに「使い込むほどに味が出る」と言われる器は、素朴ながら飽きのこない備前焼の大きな特徴となっています。

この備前焼の魅力的な赤茶色の地肌は、着色ではなく、鉄分量の豊富な土を焼くによって作られていきます。そのために、よい作品を作るための焼成方法を会得するためには、大変な熟練が必要となります。それでは、これから備前焼の魅力を高めた備前焼の名手の方々をご紹介します。

金重陶陽作品

今にも消え去るかと思われた備前焼を立て直した人が、初代人間国宝にして偉大なる備前焼の中興の祖とも称される金重陶陽です。彼は1896年に備前市伊部で、備前焼六姓の一つである金重家の分家で生まれました。大正期から昭和初期にかけて研究を重ねた結果として、失われていた桃山風備前焼の土味を出すことに成功したのです。戦後になると北大路魯山人からの強い影響を受けて作品の幅を広げていきました。そうした功績から備前焼では初の人間国宝として認定されており、のちに大学講師として海外にも招かれています。

その時期の金重陶陽は、長めの「ト」の陶印を使用している作品も多く、胡麻が細かく飛び散って、器全体に降り注いでいるかのような作風で、大変魅力にあふれるものです。それは、茶器として一世を風靡したころの備前、そして、それよりも以前からある古備前に見られるような、落ち着いた雰囲気を醸しており、見るものを引き込んでしまうような素朴な美しさにあふれています。彼は新しい備前焼を再構築し、格調高い作品作りに成功した一人としてあまりにも有名です。

藤原啓作品

岡山県備前市で農業を営む家庭の三男として生まれた藤原啓は、焼き物の世界では遅咲きの人として知られています。彼は子供の頃から文学の才能に恵まれ、20代には出版・作家活動へと進みました。やがて、文学の世界に限界を感じ、生まれ故郷に戻った藤原啓は39歳になっていました。作家仲間の友人たちのすすめもあり、三村梅景に師事をして、備前焼の陶芸家への道を歩み始めたのは40歳の頃でした。そして、1948年に国認定の技術保存資格者となったことをきっかけにして、藤原啓は生涯を備前焼のために捧げる人となります。

金重陶陽や北大路魯山人たちにも指導を受けた藤原啓は技術向上のために努力を傾け続け、古備前復興の継承に尽力をしました。金重とは対照的に、素朴で大らかな作風を得意としています。彼もまた、古備前焼の技術を背景に備前焼の新たな展開を示して、若手の陶芸家にも大きな影響を与えた偉大な一人でした。

山本陶秀作品

山本陶秀(1906~1994年)は岡山県備前市伊部(いんべ)出身で、人間国宝にも認定された日本の陶芸家です。既に備前焼の人間国宝として知られていた金重陶陽や、藤原啓と共に、戦後の備前焼の復興を熱烈に支えてきた人でもあります。陶秀は茶陶(ちゃとう)が得意で、優れた作品を多く発表していますが、それらの作品は、かつての桃山時代に茶道で用いられていた誇り高き桃山備前の茶陶を再現しつつ、そこに新しい備前焼の姿を重ねることで誕生してきました。

彼の陶芸家としての歩みは15歳のときにさかのぼります。伊部にある窯元へ見習いで入り、備前焼の一作家として独立できたのは27歳のときです。陶秀は、とくにろくろの技術に優れており、周囲から「ろくろの名人」とまで呼ばれていましたが、こうしたろくろの技法から、いくつもの優れた茶陶が生み出されてきました。

彼の研究熱心さは特筆するものがありました。有名なエピソードでは、高級車を買えるくらいの値段がする茶の道具について記された書物「大正名器鑑」を、自らの茶陶づくりのために購入して、それを熱心に研究したそうです。その成果として、山本陶秀の優れたろくろの技法が確立されてゆきました。

そののち、京都の陶芸家、楠部弥弌(くすべやいち)に師事して釉薬について学び、技術に磨きをかけていきます。さらに、備前焼の初代人間国宝である金重陶陽にも影響を受けています。そうした彼の陶芸家としての活動は大きな評価を得るようになりました。

1979年には伊勢神宮に「流れ胡麻三方花入」を献納し、さらに次の年にはその翌年、スペイン国王のファンカルロス一世とソフィア王妃に「花瓶」を献上するなど、国際的にも大きく活躍しています。

しかし、最高の茶陶の技術であると認められたのは、彼が80歳になってからですが、1987年に人間国宝の指定を受けています。神業と呼ばれ、そのすばらしい陶秀の技術は、決して、他の追随を許さないほどの優れているものでした。

藤原雄作品

1996年にその作品づくりが高い評価を受けた結果として、人間国宝に認定された備前焼の陶芸家が藤原雄です。岡山県備前市出身で、弟には、あの有名な藤原啓がいます。彼はハンディキャッパーで左目が全く見えませんでした。また、右目さえも弱視で0.03しかありませんでした。それでも明治大学文学部日本文学科に進学して、文学に熱中する青年期を過ごしていましたが、父親の看病で帰郷すると、やがて、中国磁器の研究では大家であった小山富士夫に、備前焼を学ぶことをすすめられ、その技法を学びはじめました。

彼の評価は、とくに海外では高く、1964年にはアメリカ現代陶芸美術館やカナダのポイントクレーヤーにて海外初の個展を開催すると、それを機に、欧米各地で,日本の備前焼についての講義を幾度も行っています。彼の海外での活躍が認められると、それ以後は、国内外で多くの作品を発表していき、次第に、藤原雄の評価は高まっていきました。彼の作品は、メトロポリタン美術館や大英博物館にも収蔵されています。

伊勢崎淳作品

伊勢崎淳は備前焼の優れた陶芸家ですが、1936年に伊勢崎陽山の次男として岡山の備前に生まれ、人間国宝として認定されるほどの高い技術と評価をほしいままにした人物です。幼い頃から陶芸を学び続け、岡山大学教育学部特設美術科を卒業したあと、陶芸家の父、伊勢崎陽山に師事して、本格的に陶芸の道に進んでいきました。

伊勢崎淳作品では、花器、皿、茶陶のほかに、古備前や桃山備前などの伝統を踏襲しつつ焼かれた作品群や、造形美を追い求めた作品などと非常に幅広く、熱心に取り組んでいます。

そうした努力の一環として、1960年には兄の伊勢崎満と一緒に古備前の時代の半地下式穴窯を姑耶山古窯跡に復元するという大事業に成功しました。

伊勢崎淳作品は、その素材と窯の特徴の融合から生まれる作風の茶陶を主体としつつ、一方では現代感覚あふれる陶壁、石彫、オブジェを製作しており、伊勢崎淳が、いかに成形や焼成にこだわりを持ち、それを重視してきたのかをはっきりと示すものとなっています。

釉薬を使わずに長い時間をかけて焼き締める備前焼は、土肌の渋い味わいが人気です。しかし、2週間の長い時間をかけた焼成によって窯変を生じさせ、青灰色や褐色、緋色などの多彩な色の変化が、その作品に個性と見事な美しさをも与えてくれる奥の深い焼き物です。ですから、その技術の難しさもあって、磁器づくりの世界とは異なり、備前焼の分野では人間国宝と認定されている陶芸家は、この伊勢崎淳を含めてたったの4人しか輩出されていません。

いかがでしょうか?こうして今回ご紹介した備前焼の代表的な陶芸家たちでしたが、なぜ、中世の素朴な焼き物でもあった備前焼が、ここまで独創的なものとなり得たのでしょうか。その秘密は、あくまでも偶然性と陶芸家の意図の融合により、オリジナリティあふれる作品が誕生する、備前焼そのものの製造法自体にありました。素朴だからこそ、奥の深い世界が備前焼には存在しているのです。

売られた方のお声:岡山県加賀郡E様
実家の父親の遺産で、いくつかある品物の中から1点だけ、備前焼の茶碗らしきものをウルトラバイヤーさんに買い取っていただきました。私はあまり焼き物や食器に詳しくなかったのですが、訪問して来られた査定員の男性が非常に詳しく教えてくれました。メモに残してくださったのは「これは山本陶秀の備前茶碗です」とのことでした。そして、「人間国宝の一人で供箱ありなので、できる限りの高額で査定いたしますね」と言われて、目の前で査定金額を示してくださいました。たった一つの茶碗だったのですが、思っていたよりも高くてびっくりしました。それでその場で現金買取をしてもらいましたが、器の取り扱いも慣れていて丁寧で,逆に持ち主としては恥ずかしいばかりの時間でもありました。残りの食器類なども、よく考えて、売却するならウルトラバイヤーさんと決めさせていただいております。