和食器のブランド・作家一覧 覚えておきたい!贈り物にも人気

ご家庭にある食器を見ると洋食器の方が多いというご家庭は多くなっていますが、でも、日本人なら、一度は和食器をそろえてみたいという方も増えてきました。洋食器はフォーク、ナイフの使用が前提ですから、傷つきにくい磁器製が多いのですが、茶碗などの和食器は、直接、手に持って使います。その文化の違いは和食器の特徴にもよく反映されています。和食器は、土や磁器を使った質感を特徴とし、一点物が中心でもあります。美しいお皿やお椀に盛りつけられた芸術的な料理は味わう前に眺めても楽しい物です。そんな和食器の魅力あふれる世界、その有名な和食器を少しだけご紹介してみましょう。

 

有名な和食器産地一覧

有田焼(ありたやき)
有田焼は、佐賀県有田町を中心に焼かれている磁器です。16世紀末の豊臣秀吉の時代に、朝鮮から多くの陶工が佐賀へ渡り、有田における磁器製造が開始されました。以降、江戸時代後期に各地で磁器生産が始まるまでの100年以上もの間、有田は日本国内で唯一の磁器でした。作品は、古伊万里、柿右衛門、色鍋島、金襴手(きんらんで)などに大別されていますが、献上用の藩窯で鍋島藩のものを「鍋島様式」、そして、皇室に納められたものを「禁裏様式」と呼んでいます。

伊万里焼(いまりやき)・古伊万里
名称としての伊万里焼は、有田焼でもありますが、波佐見焼なども含んだ総称です。有田地区の製品を「有田焼」、伊万里地区の製品を「伊万里焼」と呼び分けて区別をしています。初期の伊万里焼は、白磁に青一色で模様を表した染付磁器がほとんどでした。この初期伊万里は発色が不安定で、作りが雑でしたので、次第に九谷焼や柿右衛門などに押されていき、ついに市場から姿を消してしまいました。しかし、この初期伊万里は、現在では、希少性が高く高値で珍重されています。伊万里焼は広く海外へも輸出され、多くの人々に愛される日本の代表的な和食器の一つです。

九谷焼(くたにやき)
九谷焼は、その名のとおり、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したことに始まります。しかし、原因不明の廃窯で100年足らずで終わってしまいました。このころの作品は「古九谷」と呼ばれ、大変に珍重されています。瀬戸内で磁器産業が成功したことをきっかけに、古九谷を再興しようという動きが強まり、1823年の文政六年に、九谷村の古九谷窯跡の横に登窯を築いて、翌年から再び九谷焼が焼かれ始めました。明治6年のウィーン万博では「ジャパンクタニ」として九谷焼が紹介され、それをきっかけとして、大量の九谷焼が海外へ輸出されるようになります。作品の色調は渋く独特で、豪快な絵柄が魅力で、柿右衛門、色鍋島、仁清と並ぶ、日本の色絵陶磁の代表的なものとなっており、現在では外国の著名人にも広く愛用され、日本の美として大変親しまれています。

益子焼(ましこやき)
江戸時代末期、大塚啓三郎が益子(栃木県芳賀郡益子町)に窯を築いたことにより始まりました。砂気が多く、土の質感があり、ぼってりとした肌ざわりが特徴の陶器です。1979年には、伝統的工芸品に指定されています。

備前焼(びぜんやき)
日本六古窯の一つで、「伊部焼(いんべやき)」とも呼ばれている備前焼はストーンウェア(炻器)の一種です。古墳時代の須恵器がルーツの備前焼は、釉薬を一切使わず「酸化焔焼成」によって作られますが、一つとして同じものがない模様が特徴です。茶器・酒器・皿などが多く、派手さはないもののあきがこない、「使い込むほどに味が出る」と言われる備前焼は日本六古窯の一つとして2017年に日本遺産に認定されました。

砥部焼(とべやき)
讃岐うどんの器として有名な陶磁器が砥部焼です。愛媛県砥部町を中心に作られることから、の名で呼ばれるようになりました。砥部焼の多くは手作りで、その独特の風合いが愛好家に高く評価されています。厚手の白磁に、薄い藍色の呉須と呼ばれる図案が特徴の砥部焼は、頑丈で重く、割れにくいという特徴があり、夫婦喧嘩で投げつけても割れないという話から、「くらわんか碗」、「喧嘩器」とも呼ばれているユニークな陶磁器です。

萬古焼(ばんこやき)
土鍋でおなじみの萬古焼は、桑名の豪商、沼波弄山(ぬなみろうざん)が、自身の作品に「萬古」または「萬古不易」の印を押したことから、この名前で呼ばれるようになりました。ストーンウェアですから、耐熱性に優れているという特徴を持っています。急須や土鍋が全国的に大変有名ですが、蚊取り線香をおく、おなじみの豚の形をした「蚊遣豚」も、この萬古焼です。

京焼(きょうやき)(清水焼)
16世紀末に生産が始まった、この京焼は清水焼とも呼ばれ、日本の有名な陶磁器の一つでもあります。清水寺に向かう清水坂あたりで焼かれていた焼き物を指してそう呼び始めたことが由来です。現在では、京都市東山区・山科区の清水焼団地・宇治市の炭山などで生産されているものをまとめて「清水焼」と呼んでおり、絵付けの作家ごとの個性が強く表れていることが大きな特徴です。

上野焼(あがのやき)
茶人の大名、細川忠興が、朝鮮人陶工、尊楷(上野喜蔵)を招いて、豊前国上野に登り窯を築かせたのが始まりです。江戸時代には遠州七窯の一つに数えられるほどの茶人に好まれる陶器です。比較的生地が薄く、軽量なことが特徴です。絵付けされているものはほとんどなく、青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉などのさまざまな釉薬を用いて「窯変」と呼ばれる模様が中心の陶器です。

三川内焼(みかわちやき)(平戸焼)
三川内焼は、平戸焼とも呼ばれ、長崎県佐世保市で生産されている陶磁器です。豊臣秀吉の朝鮮出兵の時代に、朝鮮の陶工が渡来し、平戸島中野村で窯入れをしたことが三川内焼の始まりです。「唐子絵」、「透かし彫り」、「卵殻手」などの作品が有名です。平戸藩御用窯として、将軍家への献上品や、南蛮交易の輸出品として用いられてきました。

丹波焼・丹波立杭焼(たんばたちくいやき)
兵庫県篠山市今田地区で焼かれる陶器や炻器を丹波焼・丹波立杭焼と言います。主に生活雑器に用いられ、六古窯の一つに数えらています。平安時代末期に始まり、器の上に降りかかった松の薪の灰が、釉薬と化合して窯変を起こし、「灰被り」と呼ばれる独特な模様と色が現れ、一品ずつ異なった表情を生み出すのが丹波立杭焼の最大の特徴となっています。備前焼や信楽焼と比べると、若緑色の落ち着いた爽やかな民芸調の作品が多く作られてきました。

越前焼(えちぜんやき)
越前焼は、福井県丹生郡越前町で焼かれている陶磁器(炻器)で、釉薬を使わずに、高温で焼成されるときに薪の灰が器に溶け込んだ自然釉で知られています。古い歴史を持ちながらも、「織田焼」と呼ばれていましたが、長く無名でしたが、小山富士夫氏により日本六古窯の一つにあげられて、それ以降、「越前焼」として知られるようになりました。他の古窯が江戸時代に茶器などを焼くようになった中で、この越前焼だけは、一貫して台所用品の雑器作りを続けています。

小石原焼(こいしわらやき)
小石原焼福岡県朝倉郡東峰村にて焼かれる陶器で、主に生活雑器を中心に作られています。1682年に伊万里から陶工が招かれて、陶器作りが始まりました。素焼きはせずに、釉薬を用い、刷毛目、飛び鉋、櫛描き、指描き、流し掛け、打ち掛けなどの技法を駆使して独特の幾何学文様を作り出すことを特色としています。小鹿田焼のルーツである小石原は、1954年(昭和29年)バーナード・リーチが小石原を訪れて「用の美の極致である」と絶賛したことから注目されるようになり、全国的に有名になりました。

赤膚焼(あかはだやき)
奈良県奈良市、大和郡山市で作られる陶器です。桃山時代に豊臣秀長が五条村赤膚山に開窯したことが始まりと言われています。江戸時代後期、幕末には名工、奥田木白が仁清写しなどの技術を披露して有名になり、遠州七窯の一つにも数えられました。器肌に赤みがあり、乳白色の萩釉を用い、庶民的でかわいい「奈良絵」と呼ばれている絵付けがされているものが多くあります。

唐津焼(からつやき)
茶器として名声をほしいままにした唐津焼は、現在の佐賀県・長崎県で作られる陶器で、その製品が唐津の港から積み出されたことに由来しているようです。その風合いはとても素朴で、独特の渋みを感じさるものが多く、日常雑器から茶器までさまざまな器種が作られてきました。茶碗は、古くから「一楽二萩三唐津」と称されるほどで、日本の伝統的工芸品に指定されています。あの千利休が所持していた道具の中に、奥高麗茶碗(唐津焼の一種)の「子のこ餅」(ねのこもち)があったことは、よく知られているエピソードです。

大樋焼(おおひやき)
江戸時代初期、加賀藩主5代目、前田綱紀がきっかけとなり、茶の湯の貴重な道具として発展し、現在に至っています。飴色釉の特色をもつ、非常に希少性のある焼物として全国的に有名になりました。

美濃焼(みのやき)(志野焼)
岐阜県北部で製作される陶磁器が美濃焼です。別名「美濃桃山陶」とも呼ばれ、ルーツが桃山時代にあることが伺えますが、茶人でもあった武将、古田織部の「織部好み」は、ことに有名です。また、志野茶碗の「卯花墻」(うのはながき)は、日本製の焼物では二つしかない国宝の一つでもあります。美濃焼の発祥の地は、江戸時代末期に磁器の生産が始って以来、現在では日本の和食器・洋食器の大半を生産する大窯業地ともなりました。

高取焼(たかとりやき)
400年の歴史を持つ福岡県直方市、福岡市早良区で作られている高取焼は、江戸時代、黒田藩の御用窯として繁栄しました。高取焼の草創期の作品、「古高取」の中でも、特に「内ケ磯窯」は豪放かつ大胆な「織部好み」で、その芸術性が高く評価されています。あとの時代の「遠州高取」になるとおしゃれな風流人好みの作品が焼かれるようになりました。「小石原高取」の頃になると、さらに、技術が進み、より繊細な作風が特徴となっていきます。

萩焼(はぎやき)
山口県萩市一帯で焼かれる陶器ですが、一部、長門市で焼かれる萩焼は、深川萩(ふかわはぎ)と呼ばれ、区別されています。古くから「一楽二萩三唐津」と呼ばれるほど茶人が好む器ですが、それは「貫入」と「七化け」という萩焼らしい特徴にありました。器の表面の釉薬がひび割れたような状態になる「貫入」と、長年使い込んでいく内に「貫入」に茶や酒が浸透していく「七化け」は、器の表面の色を徐々に変化させて、枯れた味わいを見せてくれるようになり、萩焼の根強い人気の理由ともなっています。

伊賀焼(いがやき)
三重県伊賀市で焼かれる、日本有数の古陶です。初めは土の産地が近い信楽焼と、ほとんど区別がつかない陶器でしたが、桃山時代の天正年間後期に入ると、ビードロ釉(ゆう)と呼ばれる緑色の自然釉を特色とする質朴で風流な「筒井伊賀」という焼き物が作られるようになりました。その後、対照的に、おしゃれな茶器「遠州伊賀」が焼かれるようになりました。江戸中期には施釉陶の技術で「再興伊賀」と呼ばれる焼き物が作られ、それ以降は、お茶用の陶器ではなく、日用食器作りが中心となっています。

信楽焼(しがらきやき)
たぬきの置物で有名な滋賀県甲賀市信楽を中心に作られるストーンウェア(炻器)で、日本六古窯のひとつに数えられています。。「わび・さび」を感じさせる温かみのある緋色の発色とビードロ釉と焦げた味わいのある信楽焼は芸術品としても、その価値を高く評価されています。

赤津焼(あかづやき)(瀬戸焼)
赤津焼は、瀬戸市の東端にある赤津地区で焼かれます。そこは、千年を越えて受け継がれている古窯の一つです。瀬戸窯とともに発展した赤津焼の特徴は、「赤津七釉」と呼ばれる7種類の多彩な釉薬が使われている点にあります。そしてさらに、12種類に及ぶ豊富な装飾技法が駆使して作られてきました。現在では、茶道具、花道具はもちろん、小鉢、向付などの懐石食器、湯のみ、コーヒーセットなどと幅広く作られています。

常滑焼(とこなめやき)
滑らかな表面の朱色の急須はご家庭でもよく見かけますが、これが、常滑焼です。常滑焼は愛知県常滑市を中心とし、その周辺を含む知多半島内で焼かれるストーンウェア(炻器)です。その歴史は古く、平安時代にまでさかのぼります。平安時代後期の物は”古常滑”と呼ばれており、瀬戸や信楽、越前と並ぶ“日本六古窯”の一つとして珍重されています。常滑焼の急須で入れたお茶は、まろやかな味になり、おいしいと感じる方が多いようです。朱色の素地には酸化鉄が含まれていて、その鉄分とお茶のタンニンが反応して、渋みや苦みがなくなり、まろやかな味わいになると言われていますが、古来より作られている釉をかけないタイプの急須のほうが、よりおいしくなるようですが、最近では、釉をかけて、朱色だけではなく様々な色が楽しめるようになっています。

鍋島焼(なべしまやき)
17世紀から19世紀にかけて、佐賀藩(鍋島藩)において藩直営の窯で製造された高級磁器です。伊万里焼の中でも佐賀藩の直営していた窯では藩主の所用品や将軍家、諸大名への贈答品などの高級品をもっぱら焼造していました。こうした焼き物は、「鍋島焼」または単に「鍋島」と呼ばれました。その後、鍋島焼の伝統は途絶えていまいますが、その技法は、今泉今右衛門家によって近代工芸として復興され、今日に至っています。

輪島塗(わじまぬり)
石川県輪島市で生産される漆器のことを輪島塗と呼んでいます。下地に焼いて作った粘土の粉と生漆 (きうるし)や姫糊などを混ぜた特殊な地粉 (じふん) を用いているため,とにかく壊れにくい、割れにくいことで有名です。室町時代に発症した輪島塗は、現代まで生産が続き,高級品として作り続けられています。